四国作旅

善通寺(ぜんつうじ)とは[香川県善通寺市]

香川県の北西部に位置する善通寺市は、市名の由来にもなっている四国八十八ヶ所霊場第75番札所「善通寺」がランドマークである。
善通寺は、真言宗の開祖で、四国遍路の創建にも大きな影響を与え、現代日本においても大きな信仰の対象の「空海(弘法大師)」の生誕地。
善通寺のシンボルである高さ43mの五重塔をはじめ、空海の生誕所と伝わる御影堂など、数々の歴史的建造物は文化財としても価値の高い。
また、寺院西方向の5つの山が連なる「五岳山」は、空海が幼少期に修行し悟りを開いたとも伝わる聖地で、特徴的な山容と豊かな自然は、アウトドアフィールドとしても魅力的。
その他、明治時代に陸軍が置かれ、今も自衛隊司令部・駐屯地が配置されており、市内には古墳が点在するなど、長い歴史と文化を体感できる街である。

善通寺(ぜんつうじ)とは[香川県善通寺市]

善通寺つくり旅 〜中務茂兵衛標石編〜

現在の山口県周防大島町出身の中務茂兵衛(なかつかさもへえ)は、明治から大正にかけて四国八十八ヶ所霊場を巡拝し続けた人物。周防大島を出奔した22歳頃から巡り続け、その数279巡と87ヶ所と、現代でも破られることのない記録を持ちます。
その茂兵衛が42歳頃から亡くなる直前の73歳頃にかけて、遍路道沿いに建立をはじめたのが「標石(ひょうせき、しるべいし)」。明治から大正にかけて建てられた標石は現在確認されているだけでも243基あり、当時の札所の変遷や時代背景、地域情報を今に伝える貴重な資料となっています。
四国の中でも特に茂兵衛の標石が数多く残されている香川県善通寺市を巡り、標石のバリエーションとそこに刻まれた時代背景を読み解きます。特に最後に訪れる四国八十八ヶ所霊場第76番札所金倉寺は、中務茂兵衛が得度し「茂兵衛」の名を授かった最も縁の深いお寺。公認先達であり僧侶の野瀬照山氏のガイドのもと、茂兵衛の偉業をたどります。

お問い合わせフォーム

中務茂兵衛の標石について

「標石(ひょうせき・しるべいし)」は、行き先の地名や距離等が石に記された道標(みちしるべ)のこと。とりわけ石材を用いて行先等が示されるものを「標石」と呼びます。茂兵衛さんの標石には「行先や距離」「巡拝回数と自身の国元と名前」「石を寄進した者の国元と名前」「建立年度」などの要素が東西南北4面に記載されている形式が一般的。
他に標石を建てるにあたり尽力した「世話人・周旋人」やその時の心情を詠った「添句」の記載を見ることができる標石もあります。

 

JR善通寺駅

ツアーの集合場所であり出発点の善通寺駅は、JR土讃線の主要な駅の一つです。路線の歴史は古く明治22年(1889)開通。駅舎はその時建てられたものが改修や増築を行い使用されているもので、現存する駅舎としては日本最古の可能性があります。
開通当時の石積み(当時の低床の石積みの上にコンクリートでかさ上げされている)が残るプラットフォームや、タイムスリップしたかのようなレトロな跨線橋など、鉄道の歴史の痕跡が残っています。

参照:明治由来の古い構造を持つ善通寺駅[前編]【香川県善通寺市】

 

善通寺市役所南東角の標石群

善通寺市役所の南東角には大小様々な標石が移設・集積されており、その中には茂兵衛のものが3基あります。四国内でも最大級の中務茂兵衛標石を見ることができるのがこの場所です。
最も大きい標石には、明治三陸地震が起きた年と同年の明治29年の建立であることや、当時の備前國(現岡山県南部)に住む茂兵衛の有力パトロンを含めた6名の名が記されており、標石が建てられた時代背景や関係した人物を知ることができます。

参照:善通寺市役所敷地内で見ることができる最大サイズの中務茂兵衛標石【善通寺市役所一角】

 

金倉寺門前の標石

茂兵衛さんが得度した四国八十八ヶ所霊場第79番札所金倉寺門前には、斜めに立つ姿が印象的な標石が見られ、一般的な表記内容の他、当地ならではの記載や金倉寺の僧侶で茂兵衛さんと親しかった人物が添えた句が記されています。
金倉寺仁王門前には左右対称に立つ2基の石板があり、若干分かりにくい部分はあるものの、こちらは周旋人(しゅうせんにん)として茂兵衛さんが関わっているようです。
ガイドの野瀬氏から、標石に刻まれた句の内容や施主について解説を受け、金倉寺内部へと足を進めます。

参照:大先達「中務茂兵衛」が伝える四国遍路メッセージ【76番札所「金倉寺」門前の遍路石】

 

第76番札所金倉寺

中務茂兵衛が得度した金倉寺は、四国八十八ヶ所霊場の第76番札所で全札所の中に4ヶ寺存在する天台宗寺院の一つです。宝亀5(774年)、空海誕生と同じ年に叔父である和気道善によって建てられました。
和気道善の孫が天台宗寺門派開祖の智証大師で、伽藍等の整備などこの時期に寺は大きく発展。明治時代には当地に置かれた陸軍第11師団の大将として赴任した乃木希典が当寺院を宿舎とするなど、四国の近代化の歴史にもその名を残しています。
同時期に四国遍路をまわり続けた中務茂兵衛は、金倉寺にしばしば立ち寄り、時の住職に師事していました。茂兵衛さんにとって最も縁のある札所です。
金倉寺大師堂は正式には「祖師堂」と呼ばれ、弘法大師は脇に控え智証大師を中心として配置されています。その堂前にも茂兵衛さんの標石が残されています。

参照:金倉寺ゆかりの人物と日本近代史の輝かしい1ページ【76番札所「金倉寺(こんぞうじ)」】

 

お問い合わせフォーム

ツアー概要

モデル行程 10:00 善通寺駅 出発
10:05頃 善通寺市役所南東標石群 見学
11:00頃 第76番札所金倉寺標石 見学
12:00 第76番札所金倉寺 解散
所要時間目安 約2時間
参考料金 5,000円(税別)/人 (4名催行の場合)
※ガイド料金、資料費、保険料が含まれます。
お問い合わせフォーム

トップに戻る